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【奥深い】バリカンの普及の歴史に「散髪脱刀令(断髪令)と徴兵令」。語源は?韓国でも「バリカン」と呼ぶ。

【奥が深い】バリカン普及の歴史は、散髪脱刀令(断髪令)と徴兵令。語源は?韓国でも「バリカン」と呼ぶ。

バリカン、少年時代に「スポーツ刈り」「丸坊主」にしたことのある男性諸君にはおなじみの美容器具である。さて、このバリカンの普及歴史を調べてみると、明治政府との深い関わりがあった。非常に興味深いので紹介したい。

ちなみに、今でこそ「ロン毛」と呼ばれているが、短い髪型が一般的となったのは、長い歴史の中でも極めて最近に限られた事であり、江戸時代以前までは男性でも長い髪が常識だった。そもそも定期的に短く切るという風潮自体無かったようだ。

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バリカン普及の歴史は「散髪令」と「徴兵令」

1871115日(明治4923日)に明治政府によって散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)が公告される。一般には、「断髪令」という名称で、「ちょんまげ」から頭髪の自由化がなされる。

また、その2年後の1873年(明治6年)の「徴兵令」の公布により、兵士の頭髪を衛生上の理由から「丸刈り」としたことが、日本でバリカンが広く普及する背景となった。

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ちなみに「散髪令」に反対した一揆も

明治63月敦賀県(現在の福井県)で、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が発生し、6人が死刑に。

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バリカンを日本に持ち込んだのは?

1883年(明治16年)、フランス駐在の日本公使館書記官・長田桂太郎(おさだ・かつらたろう)が持ち帰り、理髪師の鳥海定吉が最初に使用して普及したと言われている。

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バリカンの語源は?

バリカンの正式名称は、Hair clipper(ヘアークリッパー)。実はバリカンの語源は長らく不明だった。が、金田一京助が三省堂書店で『日本外来語辞典』作成時の調査で、東大正門前の理髪店「喜多床」の二代目店主”舩越”が、刃(は)の刻印から、フランスのバリカン製作所の名を発見、社名が名称として広まったものと確認。

韓国でも「バリカン」と呼ばれている。

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髪型、日本の歴史

明治以降

日本では明治時代に政府から断髪令が出されたがなかなか浸透しなかった。そこで明治天皇が範を示すことで普及が計られた。これ以後、文明開化の象徴として民衆にザンギリ頭が流行した。狂歌「ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」は有名。1885年頃から日本でバリカンが使用され始め、丸刈、八分刈、五分刈など髪を短く刈り上げる髪型が定着するようになった。

断髪令の例外として、相撲の力士の髷(まげ)は認められた(注意点として、断髪令は髪型を自由にして良いとの布告なので、髷を結っていても罰せられるという事はなかった)。

明治時代以降、女学生の髪型として三つ編みが流行し、生徒の髪型として三つ編みを指定していた学校は多く、現代でもその伝統を引き継いでいる学校も存在する。

伝統的な髷にも洋装にあうものが工夫されるようになり、日露戦争後に流行した二百三高地は旅順攻囲戦での203高地の激戦をモチーフにしたものである。

 

大正時代から昭和

大正時代から昭和戦前期にかけては、女児の髪型はおかっぱ頭が主流であった。大正時代には、大人の女性の間でも髪を肩にかからない程度に切りそろえる断髪が現れ、女性の間にも髪を結い上げず切りそろえておく髪型が広がった。

 

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第二次世界大戦後

日本においては、少年の髪型は丸刈りと坊ちゃん刈りのふたつしかなかった(少し遅れてスポーツ刈りが現れた)。成年男性の髪型には七三分けと呼ばれる髪型が多く、オールバックや角刈りなども行われた。

1950年代頃から男子青少年の間で、GIカットやリーゼントの髪型が流行。モッズのファッションを取り入れた世界的アイドルビートルズの影響でマッシュルームカットが1960年代に世界的に広がった。1960年代後半以降、対抗文化の広がりのなかで、社会への反抗の表現として無造作に髪を伸ばした男性のロングヘアの髪型が現れた。

1970年代から1990年代初頭までのアイドルブームにより、健太郎カット、聖子ちゃんカットなどのパーマとカットを組み合わせた髪型が流行するようになった。また、女性の社会進出に伴い、手入れが楽なソバージュが同時期に流行した。