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【彼の現在は】延長15回サヨナラボーク、宇部商業の投手名前は「藤田修平」の今。211球目、審判の林清一がボーク宣告。

【彼の現在は】延長15回サヨナラボーク、宇部商業の投手名前は「藤田修平」の今。211球目、審判の林清一がボーク宣告。

1998816日、夏の甲子園2回戦、宇部商豊田大谷(愛知)。

当日は豊田大谷と宇部商業の試合の後に、松坂大輔がいる横浜高校と、杉内俊哉がいる鹿児島実業高校の試合が控えていたこともあり、甲子園の観衆発表は52,000人とほぼ満員だった。

その試合は、高校野球ファンの記憶に残る出来事があった。「サヨナラボーク」。3時間52分に及んだ試合は甲子園大会史上初の「サヨナラボーク」という結末だった。

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延長15回、サヨナラボークのシーン

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山口・宇部商のエース藤田修平(2年生)

山口・宇部商のエース藤田修平は、左腕の藤田は172センチ、58キロの細身の2年生投手だった。

2―2の同点で迎えた延長15回裏、無死満塁のピンチの211球目。セットポジションに入ろうとした瞬間、捕手のサインが変わった。「あれっ」。ボールを握っていた左手を無意識に腰に戻した。二塁走者にサインを盗まれないようにするための二つ目のサインだった。

その瞬間。「ボーク!」と審判の林清一が宣告。

5万人超で目一杯の甲子園に詰めかけた観客がどよめく。

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宇部商の藤田、3年生では準々決勝で敗退。

藤田は翌年もエースだったが、宇部商は山口大会準々決勝で敗退。

3年生の夏が終わった時、初めて、300通もの手紙が入った段ボール箱を渡されたそうだ。野球のない夏休みに自宅の居間で寝転がりながら、すべての手紙に目を通した。

  • 「2年生だからまだチャンスがある」
  • 「また甲子園で待ってます」

1年遅れで届いたそんな激励の数々を読みながら

「もう一度甲子園のマウンドに立ちたかった。去年のボークより悔しい」と思ったという。

●藤田修平の現在

宇部商業から福岡大に進んで野球を続けるも肩をこわし、山口県下関市の製錬会社に就職。軟式野球部に所属したが、けがが治らず退部。野球とのかかわりは完全に絶ったわけではない。藤田はいま、長男との休日のキャッチボールが何より楽しいという。

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●審判の林清一の心中は

その試合は炎天下、延長に入ると、塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続ける。延長15回裏。豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。

200球を超える球を投げてきた宇部商のエース・藤田修平はこの場面で、林の想定になかった動きをした。

「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」と振り返る。

「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、プレート板に足をかけた藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。

林は迷わず「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなった。

「5万人のスタンドが一瞬、静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」とその瞬間を振り返った。もし藤田が足を外していれば、ボークではない。「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。

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●試合後、林審判は、約40人の記者にとり囲まれた

  • 「こんないい試合でボークを取った気持ちは?」
  • 「注意ではいけなかったんですか?」

会見では、報道陣から「なんであんなところでボークを取るんだ」、「注意で終わらせられないのか」といったヒステリックな声も飛んできたという。この場を収めたのは、ベテラン審判員の三宅享次氏。「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。

大会本部にも苦情の電話が殺到したという。

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●藤田投手と林審判の再会

「林さんは僕の人生が百八十度変わったと思い苦しんでいるのではないか」

宇部商業の藤田投手はあのボークで周囲から責められたことはないという。

だが一方で、「サヨナラボーク」を宣告した審判の林が、試合直後から批判されていたことが気がかりだったという。林は、審判を引退したが、甲子園では250試合以上で審判を務め、2004年のアテネ五輪では日本人唯一の野球審判員をつとめた。

2013年7月にあった明治大学・阿久悠記念館の来場者3万人記念企画。

藤田と林審判の2人はゲストとして招かれ、15年ぶりに再会した。「僕は元気でやってますって伝えたくて……」という藤田に、林は「感無量」とだけ漏らして涙した。

林に思いを伝え、肩の荷が下りたという藤田は、「あのボークで自分に責任感が生まれた。今となっては良かったことだと思える」と言い切る。それまでは課せられたメニューをこなす練習だったが、「次は俺が甲子園に連れていく」という強い思いが生まれ、自ら率先して考える姿勢も身についた。それは今でも財産だという。

●試合後のエソード

通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。

甲子園の、暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将にプレゼントされる。が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と、受け取らなかった。勝った豊田大谷にはポケットから出した試合球を手渡した。

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