<まずは引用から>
しばらくすると、「4チャン見て下さい!!!!」と、隣の付室から大声。急いで秘書官室のテレビを日本テレビに合わせる。原発が爆発していた。音は無い。反射的に総理執務室に駆け込んだ。総理が班目委員長や福山副長官らと話し込んでいた。「原発が爆発しています」と慌て気味に報告。テレビのリモコンをとって爆発映像を見せた。班目委員長が「あちゃぁ」と頭をうな垂れる。総理は厳しい表情。前日、班目委員長は「爆発はありえない」と断言していた。しかし目の前には爆発映像。(これは総理、感情的になるかもな)と内心思った。だが、総理の口調は落ち着いていた。「これは何ですか」と班目委員長に問う。返答は要領をえないものだった。「情報をあげてくれ」総理のこの声は苛立ちが感じられた。
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【感想】
3.11当時、総理大臣補佐官として官邸のど真ん中にいた「寺田学」さんの「5年前の記憶の全て」という日記(2016年3月にUP)がとても読み応えがある。ぜひ読んでほしい。映画「シン・ゴジラ」と安易に結びつけるべきではないかもしれないが、映画を見たのちにこの日記を読むことで、東日本大震災当時の政治家・官僚の動きなどがより「映像的」となって想像できるだろう。
映画はフィクションだが、この3.11はノンフィクションの「現実」である。改めて原発という人間の力を超えた存在の恐ろしさを再認識する。
当時、現実のものとして、総理大臣がどう動き、官邸はどう動き、東電はどう動いていたのか、それを知ることのできるものとして、ぜひ一読してほしい。以下は「5年前の記憶の全て」には記載されている。(原文まま)
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●「大変なことだぞ。」
テレビからは仙台の津波の映像。黒い津波が田んぼを乗り越えていく生中継。「犠牲者が数名」との報道に、ある秘書官「これは数千のレベルになるのでは」。海江田経産大臣が総理宛に入室するので、秘書官と同席。大臣から「福島第一原発が正常に冷却できていない」旨報告。私は「さっきの会見で『正常に停止』と言ったばかりなのに『冷却?』何だろう」と、事の深刻さを今一つ理解していなかった。しかし、総理の異常な反応に事の重大さには即座に気付いた。総理は何度も大臣に、事務方に聞く。語調は抑えめ。
総理「バッテリーがダメになっても、他のバッテリーがあるだろ。」。
事務方「予備もダメです。全部津波で水没しました」。
総理「何で水没するんだ!?乾かしても使えないのか」。
事務方「一度海水に浸っているので、塩分でダメになっています」。
総理「大変なことだぞ、これは大変なことなんだぞ」。
●総理が現地に行くことに否定的な官邸メンバー
11日深夜。岡本政務秘書官から相談を受ける。「総理から明朝現地に出向きたい、準備せよ。との指示あり」。私の第一印象は否定的。福山官房副長官に相談。同じく否定的。枝野官房長官に相談。同じく否定的。その旨、総理に進言。総理多少迷っている様子。
●福島原発に行くことを妻に伝える
「いま緊急地震速報が出てる、場所は新潟!」と興奮した声。今度は新潟か、、と、日本が壊れるような想像が頭をよぎる。既に宿舎の目の前だったので、急ぎ宿舎自室に入る。テレビの情報を見ながら官邸に電話。直ちに戻る必要は無かったので、急いでシャワーを浴びる。着替えを沢山抱え、妻に、まもなく福島原発に行く事を伝えて官邸に戻る。妻の表情が硬くなったのを記憶している。
●総理への進言
総理から「どうすればいい?」と問い。(どうすれば、って・・・)と内心戸惑う。「報道が待ち構えている中で急遽現地入りを中止すれば、『急遽中止する程、事態は深刻なのか??』と、強い疑念を持つと想います。十分な説明が必要になるでしょう。中止した場合の影響は以上の通り。ただ、全ては現地に行く必要があるかどうかでご判断を」。
●原発到着
白い布で全身を覆い、ガスマスクを装着した人が立っている。私が初めて見たタイベックスーツ。「え?そんな環境なのか??我々はマスク一つしてないのに」。戸惑った。ただ、そのタイベックススーツを装着した人の隣に、我々と同じような作業着姿の人が二人いた。着陸。下村審議官が記者クラブから渡されたハンディカメラを構える。私は帽子を被った。ヘリのドアが開き、地上へ。白いタイベックスーツにガスマスク姿の誘導員に導かれ、奥にあるマイクロバスに向かう。マスクをしていないので、息を吸っていいのかわからなかった。
●原発内部の様子
階段の壁には、びっしり人が立っていた。休むところがなく、壁にもたれて休んでいる様子。一様に目が疲れている。目の前に総理大臣がいることを気付くものは殆どいない。気付いても目で追う程度。
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●「決死隊作ってでもやります」
東電幹部から発せられるのは、曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、その中において、吉田所長は「どうすれば出来るのか」を語る幹部だった。「決死隊作ってでもやります」。言葉にすると、短いこの一文。そこに込められる迫力というものは、その場にいた者しか解らないかもしれない。いや、本当の意味では、私も総理もわからないだろう。先ほど階下ですれ違った作業員、階段でもたれかかってる作業員ら全ての、生活も、家族も背負った決断になる。吉田所長は、部下を気遣いながら、常に前を向いて命をかけて陣頭指揮にあたられていた。間違いなく第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら今の日本はないと思う。再度お会いしたかった。
●爆発、4チャンネル!
しばらくすると、隣の総理秘書官付き室から声があがる。「あぁ!!」同時に秘書官付の若手が飛び込んできた。「爆発!! 4チャンネルです!!」。急いでテレビを切り替えると昨日と同様、爆発映像が。総理に伝えようと執務室へ向かう。「現在、政務案件中です」との声がかかる。が、構わず執務室に入る。「失礼します。総理、爆発です」。さすがに平穏な声では話せなかった。執務室のテレビを爆発映像に切り替える。大きな噴煙が空高く舞い上がっている。その噴煙の色は、黒い。昨日の一号機爆発とは、明らかに違う。総理の第一声。「黒いよな、これ。。。。。」この「黒い」という言葉のさす意味は、昨日の一号機の爆発のような建屋(外側)の爆発ではなく、格納容器(内側)からの爆発ではないか、ということ。
●東電からの撤退要望
海江田大臣「なす術ないから、現場から撤退したいって話」。
枝野長官「俺にもきたよ。その電話。もちろん断ったけど」。
初めて聞いた私は驚愕した。現場から東電が撤退したら荒れ狂う原発を誰が押さえ込むのか。慌てて海江田大臣に「そのような重大なお話なら、お電話に出ないのはお止めください、再度お電話にでて、しっかり断って下さい」と頼み込む。海江田大臣「そうだな」と言って席を立ち電話を受け取る。
●政治的な決断。撤退するしないは政治側で
「東電が現場から撤退するとかしないとか話がありましたが、私たち(技術者・役人)が判断するのは、あくまでも原発の構造と今後の推移です。東電が撤退するしないは、政治側で決めて下さい」。
「わかってます」政務の誰かが答えた。
さきほど東電からあった撤退の申し出を断る事は当然として、それでも今後起こりうる深刻な事態に対して、政治的にどう判断するか、それが迫られていた。判断というよりも、決断。いわば「現場で働いている方の命が極めて危険な状態になることを承知の上で、原発事故を収束させる為に働いてもらうこと」が迫られる。大勢の国民生活を守る為に、少数の国民に犠牲を強いることに他ならない。
「現在の状況を踏まえ、総理にご判断頂くべきだ」と福山副長官。
●総理の発言
その場で改めて総理から「これで東電が投げ出したら、全ての原発がダメになる。福島第一だけじゃなく、第二も、それ以外の原発も。それは東日本全部がダメになるってことだ。」「そうなったら国の体をなしてない。そんな日本だったら、他国から管理される結末になる」
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●決死の覚悟。
総理「うん」
「一点、僭越ながらお話ししたいのですが」
総理「いいよ」
「ご指示の通り、事態が一層深刻化した場合に、総理が再度福島原発入りできるよう準備はしておきます。ただ、いざ決死の覚悟で超高線量の現地に行く事は、同行する私も含め、多くの秘書官、警備の警護官には相当の心の準備が必要になると思います。12日の現地入りでさえ、表には出しませんが多くの同行者は心の底で恐怖感を持っておりました。今後、総理ご自身が再度現地入りを決行される場合は、そのような想いの多くの若手が含まれる事をご留意ください。高線量被爆で死ぬ可能性が必至の場合は、総理お一人で向かって頂くことになりかねません」。
●撤退は許されない
ここで総理が話した内容に関しては、既報の通り。私の記憶の断片は以下。
「撤退は許されない」
「撤退したら、日本はどうなるのか。東日本は終わりだ」
「自国の原発事故を、自ら放棄する事は、国として成り立たない。そんな国は他国に侵略される。」
「撤退しても、東電は潰れる。だからやるしかないんだ」。
「60歳以上の職員は全員現地に行く覚悟でやれ。俺も行く」。
このような内容を怒鳴るように話していた。
●「はい。子会社にやらせます」
総理と向かい合って座るのは、勝俣会長。総理がおもむろに落ち着いた声で勝俣会長に一言。「絶対に撤退は無い。何が何でもやってくれ」。その総理の言葉に対する勝俣会長の返答は、返答の持つ意味の重さを微塵も感じさせない程あっさりとしていた。「はい。子会社にやらせます」。総理の隣で聞いていて、思わず身をのけぞった。適不適を論ずるつもりは無い。シビア過ぎて、怖かった。
●一部に犠牲になってもらう決断
総理「・・・・・注水の人間は残してくれ。。。注水の作業員を除いての退避は認める。」(さっきまでうたた寝してたのに、凄い決断をするんだな)と、内心驚く。国のトップが国民の一部に対し決死の作業を命じた。多くの国民を守る為に、一部の人間に犠牲になってもらう、そんな決断だった。震えた。勝俣会長「わかりました」。爆発は予想以上に深刻だった。
●自衛隊の決断
この自衛隊ヘリ注水作戦は、相当議論があったようだった。そもそも、そのような行為は自衛隊の行為とは想定されていなかったし、なにより、ヘリから真下のプールに注水した瞬間に、大きな水蒸気爆発が起きる可能性がある。大きな水素爆発は、決死の作業をしている自衛隊員の命を危険にさらす。その上、ヘリが原子炉の上に墜落でもしたら、一層の深刻事態を招く。深い議論の末、実行されることになった。大きな判断だった。北澤大臣と、折木統合幕僚長の決断力と統率力に感服。翌日の16日、決行とのこと。
●最悪の事態に関するシミュレーション
福島原発から半径250kmは避難が必要となるシュミレーションだった。避難するということは、このケースにおいて戻る事を想定していない。移住を必要とする地域、と言っていい。資料には福島原発から半径250kmの同心円。我がふるさと、秋田県は避難地域に含まれていた。「あぁ、秋田が無くなるのか」事実が飲み込めなかった。そして東京も避難地域だった。横浜まで含まれていた。「首都移転」が必要になる、と真っ先に思った。そして、誰も口には出さなかったが、皇居が避難地域に含まれる事の重大さに打ちのめされていた。それ以外にも、東日本に住む方全員の移動。西日本の土地は高騰し、食料も不足、失業者大量発生etc。考えるのもおぞましい状況があった。資料は細野補佐官の指導のもと、回収された。
●他の原発を止めるのか
「半年とまでは私は言いませんが、国民の理解を高めてからのほうがいいと思います。その為に新聞社にリークしてでも、政府が他の原発の停止を考えていることを国民に知ってもらって、そこで基準つくって浜岡を停止させるべきです」と述べた。すると枝野長官から雷のように「そんな呑気にやってたら、浜岡停止自体が潰されるんだよ!!!」と怒鳴られた。
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●総理大臣への解散と引退を進言
<菅総理への提言>
2011年の6月を過ぎて総理にお願いしていたこと。それは「原発を争点に解散総選挙をしてほしい」ということ。それまでの過酷な事故対応で、「原発とは縁を切るべき」と痛感していた。日本は原発に頼らないエネルギー供給を達成すべきだ、と。実現するには国民の意思表示が絶対必要であり、それを決めるのは選挙が一番良いと考えた。国民投票じゃなく、選挙がいい。各候補者の意思表示をしっかりさせたほうがいい。だが、解散のお願いと共に、総理に失礼極まるお願いもした。解散と共に引退をしてほしい、と。失礼なお願いであるとは承知していたが、菅総理の延命の為の解散、などと争点がぼけないように、解散をしたのち、即時引退を表明してほしいとお願いした。解散した総理が、その総選挙に出ない、というのは奇天烈だが、まだ事故の記憶と恐怖感が国民に残っているうちに、国民の意思表示を求めたかった。総理は解散しても続くが、党代表は辞任。新しい党の代表は、解散後に代表選挙で選び戦う。鳩山氏には、総理経験者ということで、菅総理と共に引退をお願いし、小沢氏のような不信任案で欠席した方々への公認をせず、混沌としてた党内を世代交代と共に整理一新することも願っていた。
原発への国民の意思表示。
民主党内の世代交代と整理一新。
地元選出議員の震災対応の評価。
【5年前の記憶の全て】
【国会議員】寺田 学 (てらた まなぶ)
昭和51年9月生まれ。中央大学を卒業後、三菱商事株式会社を経て、平成15年11月、当時最年少で衆議院議員に初当選。 平成22年6月、史上最年少で内閣総理大臣補佐官に就任し、震災対応や雇用対策、待機児童対策、行政改革や社会保障の充実などに尽力。 秋田においても、秋田港の日本海側拠点港湾指定や日沿道の全線開通、卸売市場や太平低温倉庫の整備などを実現してきた。

- 作者: 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会
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