JR北海道の野球部が今季限りで休止
11月4日(金)のJR北海道の決算発表で「JR北海道の野球部が今季限りで休止」と発表されました。現存する日本最古の企業チーム。現在の部員は25名、甲子園で「超スローボール」を投げて話題となった西嶋(東海大四)や、田中マー君の同期でメガネがトレードマークの本間などが在籍しています。今後はクラブチームとして規模を縮小し活動を行うようです。
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甲子園を沸かせた西嶋(東海大四)の超スローボール(魔球)
超スローボール誕生秘話(東スポから抜粋)
・行き詰まった頭をほぐすため、遊びで投げ始めたのが超スローボール
・超スローカーブはボール球ですが、絶対に打たれることのない球。
・一度リセットというか視野を広げる目的と、『見せ球』として相手の感覚を狂わせる目的、相手をじらして精神的に優位に立つ目的がある
・批判もあり、大会後、西嶋は大脇監督から「何をされるかわからない、お前の足を引っ張ろうというやつもいる」として1か月あまり“外出禁止”。
JR北海道の休部(日刊スポーツ)
社会人野球のJR北海道は4日、業績悪化に伴う経営合理化のため、道内社会人野球で唯一、企業チームとして活動していた硬式野球部を、今季限りで休部すると発表した。
部は創部108年目で、現存する日本最古の企業チーム。10月の日本選手権にも道代表として出場した。今後はクラブチーム(名称未定)として規模を縮小し、都市対抗、日本選手権の全国2大大会出場を目指す。
◆JR北海道硬式野球部
1909年(明42)に「鉄道団チーム」として国鉄で最も早くに創部。22年「札幌鉄道局」に改称し、国鉄民営化に伴って87年から「JR北海道野球部」に。全国2大大会には、都市対抗13度(最高成績3位=07年)、日本選手権8度(同8強=10年)出場しており、プロ選手も多数輩出。10月29日の日本選手権初戦で日本通運に0―1で敗れ、これが同部として最後の公式戦となった。
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「球速表示不能」と言われた超遅球誕生の秘密
2016年06月13日 06時00分
【気になるアノ人を追跡調査!野球探偵の備忘録(20)】
2014年夏、とある魔球が甲子園を沸かせた。東海大四(南北海道)のエース・西嶋亮太から放たれるボールは、テレビ中継のカメラ映像から見切れるほどの大きな弧を描き、そのまま捕手のミットに吸い込まれた。「球速表示不能」と言われた超遅球誕生の秘密と、巻き起こった論争のその後を、魔球の使い手が明かした。
「正直、たまたまなんです。1球目でたまたま、これ以上ないってボールが出た」
優勝候補の一角、九州国際大付との1回戦。4回先頭打者に西嶋が投げた初球は、大きく山なりの放物線を描き、ストンと捕手のミットに収まった。その後も甲子園の空に幾度となくかかる美しい軌跡に、湧き上がる歓声。エースはマウンドで笑った。
中学2年のとき、チーム事情で投手へ転向。制球力に自信はあったものの、球種は直球とスライダーのみ。球速のない西嶋はすぐに行き詰まった。
「まずは徹底的にコントロールを磨きました。それから投球術。どこでどのコースにどの球を投げるのが効果的か、そればっかり考えてた」
行き詰まった頭をほぐすため、遊びで投げ始めたのが超スローボールだ。中2の全道大会で一度、披露したものの、当時は話題になることはなかった。
その後、東海大四に進学。高校では野手を目指したが、入学早々に大脇監督が投球をテスト。制球力を評価され、再び投手としての道を歩くことになる。
「でも、やっぱり成績が伸びなくて。そのときあれを思い出したんです。投球術に組み込めないかな。こういうのもありかなって」
実は「スローボール」ではなく、あくまで「スローカーブ」だとか。カーブ回転をかけることでより高く、コントロールしやすい球が投げられるという。
「自分には突っ込むクセがある。超スローカーブはボール球ですが、絶対に打たれることのない球。一度リセットというか視野を広げる目的と、『見せ球』として相手の感覚を狂わせる目的、相手をじらして精神的に優位に立つ目的がある」
こうして甲子園のマウンドで5度、西嶋は魔球を披露。湧き上がる大歓声、1球で球場を味方につける力は本人も意図しなかった副産物だ。
だが、予期せぬ騒動も起きた。ネット上で一部のツイッターアカウントが「高校生らしくない」「投球術とは呼びたくない」と西嶋を批判したのだ。
「試合が終わってLINEを見たら、うわーっておめでとうのメッセージが届いていて。ようやく収まったかなと思ったらまたうわーっと鳴りだした。『お前批判されてんぞ!』って。僕自身は気にならなかったけど、周りの友人はカンカンでしたね」
もとになったアカウントは炎上、ついにはレンジャーズのダルビッシュまで論争に加わり、西嶋を擁護した。大会後、西嶋は大脇監督から「何をされるかわからない、お前の足を引っ張ろうというやつもいる」として1か月あまり“外出禁止”。
「あの批判ツイートでより有名になって。いつ誰が見てるかわからない、しっかりやらなきゃいけないなと思えるようになった。今では逆に良かったなと思います。ただ、いまだに握手とか写真だとかは、もう勘弁してほしいですけど(笑い)」
高校卒業の折、騒動の原因となったアカウントからDMを介して謝罪のメッセージが届き、西嶋も「頑張ります」と応じたという。
現在はJR北海道で練習に励むも、スランプにもがき苦しむ。「あんなにコントロールに自信があったのに、今は全然入らないんです。原因はわからない。今までこんなことなかったので、かなりしんどいですね」
超スローカーブも、今はそれどころではないという。
「話題になった人ほど、ダメだったときに周りの声も大きい。それが逆に自分を追い込む理由になる。自分がもう一度エースになって、都市対抗の大舞台で投げることになったら、そのときは投げてみたい。それまでは封印です」
甲子園の大観衆を魅了した魔球“超スローカーブ”。その軌跡が起こす感動は、大舞台にこそふさわしい。
☆にしじま・りょうた
1996年4月10日生まれ、北海道帯広市出身。小学校1年のとき、軟式野球チーム帯広東フェニックスで野球を始める。小学6年のとき日本ハムファイターズジュニアで全国大会準優勝。中学では十勝帯広シニアで内野手兼投手として、2年春の全道大会で優勝。東海大四では1年春からベンチ入り。3年夏にはエースとしてチームを甲子園出場に導くも、2回戦敗退。高校卒業後はJR北海道に就職、現在もプレーを続ける。169センチ、61キロ。右投げ右打ち。